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海の古書店

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by uminokosyoten

春の本棚『西行』

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この本を手に取ったのは、
西行が母が敬愛した歌人であったからでした。
そして、白洲正子さんがどのように西行を見ておられたのか、
単純に知りたいと思ったからでした。


読むほどに心惹かれ、
読むほどに知りたいことの泉。
気づけば付箋だらけの文庫になっていました。


「評伝」には幾つかの系列があるように思います。
書き手の意図と読み手の心持ちの共鳴の中で、
結実へ向かうもの。
提言に向かうもの。
逍遥にむかうもの。
etc.

私にとってこの本はまさに「逍遥」に向かうものでした。

ここに帰結するのではなく、
ここから始まり、
そして多様に展開してゆく。

知識や資料としてだけでしたら、
西行に関しては夥しい数のものが著され、
研究、述懐されてきました。

けれども、そのどれもに謎を残さずにおかない、
凄まじいエネルギーを秘めた西行という「人」について、
白洲さんは極めて率直に自らの言葉を綴っておられます。

「正しいか否か」という観点ではなく、
「納得できるか否か」という観点で。

10年の年月をともに西行の心と旅し暮らしてこつこつと綴られたもの。
振り返り、行きつ戻りつ、
苦悩し煩悶し、
それでも書きたかった人物像。

仏師が仏像を刻むように、
白洲さんの手によって刻まれた西行像がこの本なのだと思います。
ここから始まる。
いかようにもアプローチの可能性を秘めた本。

言葉の世界を旅するあなたへの
おすすめの1冊です。


<「心なき身にもあはれは知られけり(鴫立つ沢の秋の夕暮れ)」についても、
殆どの学者が、ものの哀れを感じない(俗世の煩悩を超越した)世捨人にも、
鴫の飛び立つ沢の秋の夕暮れは哀れに思われる、と説明しているが、
何か釈然としないものがある。
その説が間違っているというわけではないが、
心というものについて、苦労を重ねた作者にとって
「心なき身」とは、ひと言で片づけられるような簡単なものではなかった筈である。
そもそも西行がいつ俗世の煩悩から解放されたであろうか。
歌を詠むこと自体が、人間の最大の煩悩の一つであることを思えば、
「心なき身」とは、ものの哀れを知ることが不充分なわが身にもと、
控えめな表現を行ったのではないか。
そうかといって、特別謙遜したわけでもあるまい。
心のそこからそう信じて、自分の精神の至らなさを嘆いたのだと思う。
そして、そういう人間にも、鴫の立つ沢の秋の夕暮れは身に沁みる、
と歌ったので、そこではじめて下の句も生きて来るというものだ。>(P.160)



『西行』→









by uminokosyoten | 2018-01-15 07:05 | 本読み便り